地域の祖霊者に関するとても貴重な資料となります。
真野和夫氏による研究ノートをご紹介させていただきます。

竹田市扇森山横穴出土遺物
真野和夫

出典:大分県地方史 昭和51年12月 大分県地方史研究会

竹田市を中心とする大野川上流域一帯の古墳文化について は、昭和二十年代の終りに七ツ森古墳群が鏡山猛賀川光夫 氏らによって発掘調査されて学界の注目するところとなった。 なかでも前方後円墳B号墳は、いわゆる柄鏡式の古式の形態 をもっているばかりでなく、四世紀後半代の「大和」との関 係を示す典型的な遺物である碧玉製石釧を保有していたこと で大きくクローズアップされたのであった。しかし、以来二十 年を経過したにもかかわらずその後調査による新しい知見は 報じられていない。
このような情況のなかで、昭和四十五年北村清士氏による 「竹田市埋蔵文化財包蔵地調査カード」は古墳だけでなく埋 蔵文化財全般にわたる基礎台帳として重要である。筆者がこ のカードによってほとんど完形の短甲の存在することを知っ たのは昭和四十七年のことであったが、このほど実査する機会を得たので伴出した他の遺物とともにここに報告すること とした。
ここに掲げる短甲その他の遺物を出土したのは、竹田市玉 来大字桜瀬字扇森山の一横穴と記録されており、遺物は現在 市立図書館の郷土資料室に保管されている。 遺物の種類は次のとおりである。
横矧板鋲留短甲 1
刀 3
勾玉 1
八(調査カードによる) 横矧板鋲留短甲 (第一図)は、最も定形化した形の短甲で ある。

高さは四六・五センチ、胴部くびれ部の横幅約二九セ ンチを測る。 前胴は中央の引合せ板から左右に分かれ、それ ぞれ押付板を含めて七枚の鉄板を矧ぎ合わせている。 後胴は 押付板と六枚の鉄板からなる。前後の押付板は革で縁どりし、これを 細革紐でかがる。下部の裾まわりは、薄い帯状鉄板を折り曲げて 覆輪とする。 前胴は右半分を自由に開閉できる。すなわち、 右側面の後胴に鋲留された一辺三センチの二個の方形鉄板は、 前胴右半分を後胴と連結するための革帯の押え金である。

 

この開閉装置により身体に着装したのち引合わせて、腰部の くびれ部を紐で結び固定したのである。また、着装した短甲 がずり落ちないように通常両肩に「わたがみ」をかける。 こ の「わたがみ」を通す孔が前胴竪上第二段および後胴に穿た れているはずであるが、ついに発見できなかった。

横方向に鉄板を矧ぎ合わせる方法は、横板を交互に重ね合 わせて鋲留めするわけであるが、この重ね加減によってそれ ぞれの鉄板自体につけられた曲線とあいまって微妙なカーブ が生まれる。また、重ね合わせる鉄板のうち外面に出る方の 鉄板は、縁がやや折り曲げられていて、重ね合わせた場合、 厚手の鉄板を使用しているような印象をうける。 これは鋲で 押さえた場合に、外面に出る鉄板がより密着する工夫とみら れるが、美観上の配慮もうかがうことができる。

短甲の前胴および後胴の一部に繊維の組織痕を認めること ができる。あたかも左肩から紐を下げたような形に残ってお り、出土の状態が明らかでないので推測になるが、刀の下げ 緒をかけたような状態が想像される。

この種の定形化した横矧板鋲留短甲は、古墳時代に行われ た短甲の形式では最も後出のものとされており、まったく同 工のものが宮崎県西都市西都原地下式横穴四号でも発見され ていることは注意される。

刀は三口が遺存しているが、いずれも断片となっている。 ここに掲げたものは比較的保存のよい一口で、とくに柄部の 形態をうかがうことができる(第二図)。

現存長七五センチの直刀で、 部分的に刀身の観察できるところからすれば、柄に近いとこ ろで身幅約三センチの平造りである。 柄部は木製の鐔状装具がつき、鞘との間には鉄製の鋼あるいは鞘口金具かとみられ る金具がつく。鍾状装具の側面には×印を二個連ねた彫刻が ほどこされている。 柄間部は中央部をやや細く仕上げてこれ に糸を巻いていたらしい。先端に、目貫孔とは別に一孔があ るのでこれが腕貫緒をとおす孔とすれば円頭大刀圭刀大刀 であったともみられ、またあるいは環頭を固定する孔とも考 えられるが確証はない。
鉄鏃は二形式五種類がある(第三図)

鉄鏃実測図
一つは短い茎のつく広根の鏃で腸のつく形態のものであ る。この形の鏃はそのものを節の先端が両側から挟んで固 定するもので、無茎式に近い手法をとる。茎のところに桜革 を巻いたあとをのこすものもある。 いま六本遺存しており大 きさ、形状から三種類に分けられる。
いま一つはいわゆる片刃箭式のもので刺突効果のよい細根である。 腸抉のつくものとつかないものとの二種類がある。ほぼ全長 のわかるもので一二・五センチを測る。
鉄の先端部の遺存するものは図示した程度のものであるが、束になって誘着している部分からすれば、全体で二~三十本が想定されるので、実用的な細根形式のものと儀仗(ぎじょう)的な広根形式のものとの一組とみることもできるが、一般に片刃式のが六世紀以後盛行するのに比べ広根形式の鉄がやや古調を示していることに注意しなければならない。 以上みてきたように、扇森山横穴出土遺物は、県内の横 穴としては唯一の短甲出土の横穴というにとどまらず、全体 として横穴のもつ遺物としては古調を示していることは注意 すべきである。遺物からするかぎりこの横穴の営まれた年代 は五世紀後半から六世紀初頭と考えられる。したがって、竹 田地区で七ツ森古墳群以外は今までマウンドをもつ有力古墳がみつかっていないことからして、一層その存在価置が高まるであろう。 なお、横矧板鋲留短甲は「調査カード」掲載の写真による と破損のない完全な姿をしているが現在では惜しいことに背 面といくつかの破片に分かれてしまっている。県内の古墳出 土の短甲は他に六例あるが、いずれもわずかな断片または遺物の 失われたもので、このように完好な保存状態のものはない。 早急に保存対策をたてることが望まれる。
最後に調査にあたって種々ご協力をいただいた市立図書館 長阿部隆好氏に心から感謝申し上げる。
(大分県教育庁文化課・大分市千才四組二〇〇七ノー)