扇森稲荷神社の経てきた筋道を辿っていきます。


扇森稲荷神社(おおぎもりいなりじんゃ) 御由緒


稲荷神社としての創祀は、元和2年(1616)年で、400年を超す歴史があります。
その後、「扇の森」の社号を岡藩(現在の竹田市)藩主である中川氏からいただいたことにより、扇森稲荷神社(おおぎもりいなりじんゃ)となりました。*扇は「おうぎ」ではなく「おおぎ」となります。


しかし、それ以前から「こうとうさま」は、あったと言われており、その説が有力なのは、近隣に多数の1500年ほど前の古墳が発掘されており、副葬品が全国有数のよろいや馬具だったことから、かなり地位が高い方が、この地にいたことが証明されています。
古墳がある場所では、祭祀が行われていたので、古神道の祭祀場、信仰の地であったことは間違いありません。
扇森横穴墓と稲荷山横穴墓群



出土した短甲(よろいの胴体を覆う部分)
現在は、竹田市歴史資料館にて保管。


御祭神

御祭神(ごさいじん)とは、その神社にまつられている神様のことです。言わば、その神社のごりやくを、あらわします。


保食大神(うけもちのおおかみ)
その御神徳は、
1.生命を守る 2.五穀食物を守る 3. 商売繁盛取引を守る 4.幸福を守る 5.漁業繁栄を守る


猿田彦神(さるたひこのみこと)
悪を防ぎ、運命を開こうとする努力を守る


大宮女命(おおみやのめのみこと)
神楽によって人の心をやわらげ、調和を保つ 出入りする人を、よく見極め守る


稲荷信仰には、ただ単に、商売繁盛を祈るだけでなく、根底に生命の根を養っていくことを願う「ムスビ」信仰があります。


合祀神

合祀神(ごうししん)とは、二柱以上の神や霊を合わせまつることです。


菅原神
学問文学、厄除け。合格に向けた学業を成す勤勉努力を守る


高龗神(たかおかみのかみ)
雨をつかさどり、農業を守る


明治・大正期の貴重な写真。 百年ほど前の拝殿の光景
着物を着ている人たち、複数の鶏が写っています。
日付の詳細は不明ですが、明治・大正期の資料に混じっていたことから、およそ百年ほど前の写真と推定されます。
AIでカラー化

古くからある記録 直入郡誌

大正十二年(1923年)に、大分県直入郡教育会が編纂した直入郡誌に、扇森稲荷神社に関する記載があり、古くから、九州一円、四国・中国・近畿等の日本全国からのご参拝者が訪れていたことが記述されてあります。
直入郡(なおいりぐん)とは、現在の竹田市のことです。



直入郡誌 編纂:大分県直入郡教育会が編纂 大正十二年(1923年)


扇森稲荷神社境内にある石灯篭

天保七年(1836年)に、建立された参道沿いの灯篭。
大雨、洪水、冷害により、全国的に農作物が十分に実らず、食物が不足して人々が飢え苦しむこととなった天保の飢饉があった頃です。安心や平穏を願い、神に祈り、建立された可能性があります。



世話人の文字の隣に、「肥後」と書かれています。



三日月が刻まれています。


嘉永三年(1850年)に建立された灯篭。天保七年に作られたものと比べると、やや太いです。三日月の向きも違います。嘉永年間は、全国的な大地震やペリーによる黒船の来航があった頃です。


明治四十二年(1909年)に建立された灯篭。
上記ふたつの灯篭に刻まれている三日月が無いです。


稲荷橋から上昇 九重連山 阿蘇山 祖母山 扇森稲荷神社 ドローン撮影 Drone video in Ougimori inari shrine

QRコード